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2018年6月13日 (水)

僕がうつ状態になった理由

 どうも。キむryoです。

 あれから8年くらい経つのかあ。あの頃はしんどかったです。そう、うつ状態になった頃は。
 
 今から8年位前、学部4年生だった僕は体調を崩します。一度頭痛が酷くて保健室に行き、2時間くらい話してたら治った事がありました。でもその後、体調は良くならず、鬱々として日々を過ごす事に…

 きっかけは地元の東北大の大学院に落ちたことです。一緒に受験した4人は受かってました。僕だけ落ちたのです。元々東北大で学びたくて編入試験でも受けてたのですが、受からず、未練から、技科大に行かず地方国立大学に編入しました。今思うとその後、学部3年生の時から院試に向けて勉強していれば良かったのですが、それは後の祭りです。大学院受験でプレッシャーに負けて情緒不安定になってしまったまあ要は疲れたんですね。疲れ切ってて、取り敢えず9月は遊ぼうかなと思ってた所で、実家でトラブルがありました。

 僕がうつ状態になったのは大学院に落ちた事と実家でのトラブルと卒業研究の上手くゆかなさが組み合わさって過大なストレスがかかったからです。

 まず、実家でのトラブルですが、これは9月末に起こりました。精神障害者の弟が実家で暴れて僕の部屋を荒したというものです。夜に学生寮に帰った僕が電話を取ると、母親が泣きながら電話を寄越しました。その2日後か3日後には実家に帰りました。すると当時住んでいた家の階段から2階の僕の部屋まで消化器のピンク色の粉が積もってました。また、部屋の窓は割られ、僕の愛用していた目覚まし時計がバラバラにされ(これ、人間に喩えると内臓や骨がバラバラになって散らばった状態です。確実に犯罪です。)、デスクトップPCのモニターがひしゃげ、外部HDDが破壊されていました。500GBがパーでした。また、1階の茶の間にあったブラウン管テレビがひしゃげてました。ブラウン管そのものは原型を留めていましたが、筐体の方が内部の基板が見え、それもぐちゃぐちゃでした。弟がTVも殺してたわけです。ものも生きてます。付喪神とか信仰がありますが、そんな感じで、我々人間の様に傷ついても自然治癒しませんから、人間よりも人工物の方が脆い弱いと言えます。人工物を大事に出来ない人はそれより頑丈な人間を大事に扱わないでしょう。

 当時は、弟のしでかした事は犯罪なのに、駆けつけた警察官(警察に通報して警察官によって精神病院に運ばれ、緊急入院しました。)はなぜ射殺しなかったのだろう?と疑問に思いました。警察や法律はあてにならないと悩みました。学生寮で毛布を盗まれ、犯人も判らず、毛布も見つからず、警察もあまりあてにならない状況があり、学生寮での生活に嫌気が差していた僕は、実家での生活を夢見ていました。狭っ苦しい独房の様な部屋から実家の広い部屋で安全で快適な生活を送り、勉学に励みたいと。ところが、この出来事から、実家の中に危険分子が居る事が判り、安全な場所なんて無い、実家に帰っても安らがない、そもそも東北大の大学院に落ちたので実家に戻れません。地方国立大学の大学院には受かっていたものの、あまり行く気がしませんでした。10月頭に急遽帰省して、部屋を片付け、弟の様子を見に病院へ行って、と事後処理に奔走。ちなみにこの時も今も父親は単身赴任して居るため、母親1人で弟の面倒を見てます。後期が始まった大学は1週間くらい休みました。教授には母親から電話があったその日の内に電話で休む旨を伝えました。大学に戻ってからは後期に取っていたロボット工学の講義に出席ました。勿論研究もしました。

 さて、研究ですが、上手くいってませんでした。研究テーマを立ち上げて試験機の設計を担当していたのですが、設計ノウハウが無く、どうあたりをつけたらいいのか解らず。ソリッドワークスで格闘する日々でした。ゼミでの教授とのやり取りもストレスでした。怖かったです。研究の立ち上げという事で背景とか基礎になる部分が出来上がっておらず、かなり苦労しました。希望通りロボット系の研究室には配属されたものの、しんとしてちょっと暗い感じの雰囲気の所でした。成績優秀な先輩方がいたので、レベルは高かったと思います。そんな中で僕は上手く研究を進める事が出来ていませんでした。
 10月の半ばか下旬頃でしょうか、上述しましたが、一度保健室へ行ってます。あの時、カウンセラーに診てもらってたら・・・とタラレバを考えてしまいます。もっと早く相談してたら僕の状況はそこまで悪化しなかったのではないかと考えています。

 研究室ではコアタイムと言って、研究室に居なきゃいけない時間が設定されていました。僕の所属してた所は10:30-18:00がコアタイムでした。前記は10:30頃に行って、24:00頃に帰る生活を送っていました。後期は11時くらいに行って深夜に帰る生活を続けました。段々体調が悪くなっていきました。気分が優れず、未来に希望が持てない日々。気づけば研究室のPCでネットで出来るうつ病の診断を行ってました。結果はうつが疑われるというものでした。研究はなんとか卒業論文を書いて発表も行いました。実は卒論提出間際にインフルエンザで倒れます。それで3日くらいで論文を書く羽目になりました。先輩の助けがありなんとか卒論を提出する事が出来ました。そして研究発表が終わった後、僕は研究室の打ち上げをバックレました。

 何もかも嫌になっていたのです。この頃、睡眠リズムが乱れ、食事も疎かになっていました。夕方に起きて朝方寝る生活になってました。ネットで大学院落ちた人っていうスレをよく観てました。

 3月になりました。僕はカウンセラーに「うつ病の診断できますか?」と尋ねてカウンセリングを受けました。SDSというチェックテストで、確か・・・64点でした。60点以上でうつという事だったので、スコアの上ではうつです。ただ、カウンセラーからは、「これだけ話せるならうつじゃないと思う。」と言われました。調子が悪いのは確かだから休んだ方が良い。でもうつではないという見立てでした。
 この頃、実家とは音信不通でした。というのも、弟が実家にあった固定電話を破壊したらしいのです。当時は母親は携帯電話を持っておらず、連絡を取る手段がありませんでした。

 僕はカウンセラーと話してみて、大学院に入ってみるかという気持ちになりました。そこで、学費が払えないので、入学金と授業料の免除申請をする必要があり、その為に必要な書類を揃えに実家に帰る事にしました。弟と母親の死体が転がってる事も覚悟して実家まで帰りました。震災の2日前、3/9の事でした。

 実家に帰ってみると、案外、母親も弟も無事でした。3/10は高専の専攻科に行った連中と日帰りで温泉に行き、3/11の朝に実家に戻りました。そして昼寝してました。そこへ、東日本大震災です。

 震災の時はライフラインが絶たれたので、小学校(こんな形で母校に戻るとは)へ避難して10日かそこら過ごしました。それまで夜眠れなくて悩んでいたのが嘘みたいに、よく眠れました。日の出とともに起き、日の入りととともに寝る。そんな生活を送りました。避難所となった小学校で僕は、フィリピンから来ている人達と通訳みたいな事をしたり、配給の手伝いをしていました。携帯電話(当時はまだスマホじゃありません。)は避難所に行った日の夜に電池切れになりました。不謹慎かもしれないですが、避難所での生活は楽しかったです。ただ、いつも怠さを感じていました。当時、胃腸科から、過敏性腸症候群の薬をもらっていて、普段はお腹の調子が悪かったのですが、避難所では快便でした。嘘みたいに治った。文明(特に電気)の無い生活をすると自然になり、調子が良くなる事を発見しました。

 電気が復旧して、携帯電話が使えるようになると、大学の事務や研究室の教授から電話が来る様になりました。しんどかったです。ライフライン復旧の為、実家に戻りました。また生活リズムが狂いました。文明(特に電気)があると体は自然なリズムを保てなくなるようです。うつ状態の僕、そして震災により寸断された交通。加えて経済的な事情(ただ単にお金がない)により、とてもじゃないですが、大学に通える状態じゃありませんでした。

 携帯電話が鳴り、大学関係者から連絡があるのが怖くて携帯電話の電源を切っている事が増えました。悩んだ末、大学院は入学するものの、休学する事に決めました。決めるまで結構悩みました。教授とも連絡を取らないといけないので気が重かったです。なんとか教授に連絡し、休学の為の書類に一筆書いていただく事になりました。ひとまず半年の休学です。

 休学期間中、とっとと精神科に行けばいいものを行きませんでした。この頃行っておけばまた違ったのかなと思います。

 休学中、弟が暴れて2度警察を呼びました。腰に帯びた拳銃で弟を撃って欲しかった。弟の主治医には、「障害であって病気でないから治せない。入院しても治るもんじゃない。」とか言われ、弟を病院のベッドに縛り付けておくことは出来ませんでした。ヤブ医者だと思いました。弟は今は落ち着いていて就労継続支援B型事業所に通ってます。お給金もらってます。

 僕は休学中はベッドでのたうって奇声あげてました。よくクトゥルフの呪文唱えてましたね。友達からPCのモニターを譲ってもらって、貧弱ではあるけどネット回線用意して(この時の回線はクソでした。なんでこれでサービス提供しようと思ったのか正気を疑うレベル。)Twitterやったり、大学院に通ってる友人とスカイプしたりしてました。他には本を読んでました。この頃はオイレンシュピーゲルを読み返したり、新約聖書読んだり、片付けの本を買ってきて読んだりしてました。

 カウンセラーは僕の事を気にかけてくれて、毎週、僕に電話をくれました。これが無かったら死んでたかもしれない。毎週、カウンセラーと話す事で治療になってたかはわかりませんが、復帰の助けにはなってたと思います。このカウンセラーはには復学後もお世話になりました。僕が修了する前に契約切られてしまいましたが、丸2年、毎週話を聴いてくれる人でした。カウンセラーには頭が上がりません。

 当時、実家で生活していて僕の中学の同級生の家に週3で泊まりに行ったりしてました。実家では神経質な母親と危険分子の弟が居たので安らげなかったです。そんな僕にとって友達の家に行ける、しかも泊まらせて貰えるのはとても有り難かったです。友達のお母様にもお世話になってます。今もこの友達とそのご家族にはお世話になってます。

 半年経っても、調子が良くなる事はなかったのでもう半年休学する事にしました。結局、1年休学する事になりました。ちなみに休学の手続きが遅かったので授業料一ヶ月分を振り込むはめになりました。これが無ければ、僕は授業料ゼロで大学に通った事になります。この時の一ヶ月分だけが僕が大学に払った学費です。大学院の入学金は半額免除でした。授業料免除よりも審査が厳しいのが理解できませんでした。

 ご飯もろくに食べず、寝てるかTwitterやったりスカイプしたり、たまに友達とご飯食べに行ったり泊まらせてもらったり、カウンセラーと電話で話したりしてました。
 震災の年の12月、僕は体重を測って驚きました。7kg減ってたのです。これは死ぬのでは?と思いました。心配になったので久し振りに胃腸科へ行きました。抗うつ薬を処方してもらう事になりました。いわゆるSSRIだとか(後にこの処方量だと効き目が無いらしい事を精神科医から指摘されます。)。実際、この年は年末に感染性胃腸炎で入院します。あの時おとなしくしてれば死ねたかも。

 休学してから1年が過ぎようという時、2月頃ですかね。復学する事にしました。勿論授業料免除は申請するし奨学金を借ります。実際に免除は通るし奨学金も借りました。これ、返すの大変
(゚ー゚;
 復学を決めた矢先、実家を売却する事になりました。父親の仕事が震災でストップして給料が入らない期間があったのが決め手だったのかな?賃貸アパートに引っ越す事が決まり、翌年の11月頃に引っ越してます。

 復学する際、僕は大学のある都市まで、初対面の人の車で行きました。高専の時の同期が、その都市にある企業に就職していて、そこの同期と遊びに来てるからついでに拾ってやるという事でした。当時、かなり助かりましたね。

 復学後は研究テーマが変わり、ロボットに取り組みました。大した成果は出せませんでしたが、大学院では核融合や原子力関連の事も学べたので通って良かったと思っています。復帰したての時は怠かったです。もっと早く精神科に行けばな~と思います。学生の方はカウンセラーを活用しましょう。おかしいと思ったら早めに病院に行きましょう。カウンセラーからは「吹けば飛びそうだった。」と言われたくらい当時の僕は痩せてました。が、復帰後、一週間に1kg程度体重が増えました。しばらくすると元通りになりました。

 毎週カウンセリングに通いました。2年目からは別なカウンセラーにお世話になりました。ほんと、臨床心理士には頭が上がりません。

 というわけで僕がうつ状態になった理由をつらつらと書いてみました。今は眠れているのでそこまで調子が悪いわけではありません。

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